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札幌高等裁判所 昭和49年(ネ)265号 判決 1975年8月27日

控訴人

武田淳

控訴人

武田てる

右両名訴訟代理人

西村洋

被控訴人

日動火災海上保険株式会社

右代表者

久保虎二郎

右訴訟代理人

藤井正章

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人らの平等負担とする。

事実

一、控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人ら各自に対し、金二五〇万円を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

二、当事者双方の主張及び証拠の関係は、次のとおり附加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴代理人は、次のとおり述べた。

原判決は、複数の運行供用者が存する場合に、被害運行供用者につき、その具体的運行に対する無関与ないしは関与性の弱少性、現実的運行利益の不存在ないしは低位性が認められる場合にあつては、他の運行供用者に対する関係においては、被害運行供用者の「他人性」が阻却されず、或いは割合的に阻却されるに過ぎないとの、一般論を展開し乍ら、本件については、亡吉生が遊興目的で事故車の無断持出しをしたとの一事をもつて同人の「他人性」を阻却した。しかしながら、原判決は、三人の間で小樽までドライブすることになつたこと、運転免許を持つている佐々木が終始運転を担当し(交替運転ではない)、亡吉生は助手席に乗つていたこと、しかも本件事故発生時には仮眠中であつた事実を認定している。

かゝる事実から見れば、本件事故車の具体的運行に対する無関与ないし関与性の弱少性が明らかに認められる事案である。それ故本件事故については、これに直接関与した佐々木と本件事故車の無断持出しにより、これに間接関与した亡吉生との間には、事故関与度の強弱が認められるので、佐々木に対する関係において、亡吉生の「他人性」は、割合的に阻却されるに過ぎないと判断されるべきである。

理由

一訴外鈴木章(以下、鈴木という)が被控訴人との間で鈴木所有にかかる自家用小型貨物自動車(札四も八八三六。以下、本件事故車という)について保険期間を昭和四四年一一月二五日から同四五年一一月二五日午前一二時までとする自動車損害賠償責任保険(いわゆる強制保険)契約を締結したこと、控訴人主張の日時場所において、佐々木宗利(以下、佐々木という)の運転していた本件事故車が控訴人主張のような態様で対向車と衝突して事故が発生したこと、本件事故により本件事故車の左助手席に同乗していた武田吉生(以下、亡吉生という)が頭蓋底骨折、脳挫傷の傷害を受け、同日死亡したことはいずれも当事者間に争いがない。

二控訴人らは、鈴木は、本件事故車を自己のために運行の用に供していた者であり、本件事故車の運行により、他人たる亡吉生の生命を害したのであるから、自動車損害賠償保障法(以下、これを「自賠法」という)三条本文の規定により、亡吉生の生命が害されたことによつて生じた損害を賠償する責任を負うものである旨主張する。よつて案ずるに、

(一)  鈴木が本件事故車の所有者であつたことは、当事者間に争いがなく、原審証人鈴木章の証言によれば、鈴木は本件事故発生の日の前日迄、本件事故車を自己のために運行の用に供していたものであつて、本件事故車の保有者であつたことは明らかである。

そこで鈴木が本件事故の発生時において、なお本件事故車につき、自賠法三条本文にいう「自己のために自動車を運行の用に供する者」(以下、これを「運行供用者」という)であつたか否かについて考察する。

自賠法三条本文にいう「自己のために」とは、同法同条所定の責任の本質にかんがみ、「自己の運行支配のもとに」の趣旨に解するを相当とするので、運行供用者該当性の有無は、右運行支配の有無によつて決せられることになるが、右にいう運行支配とは、運行供用者に擬せられた者の当該自動車に対する法律上ないし事実上の関係、若し当該自動車が運行供用者に擬せられた者以外の者によつて運転されていた場合には、右の関係のほかに運行供用者に擬せられた者の当該自動車を運転していた者に対する法律上ないし事実上の関係を基礎として、運行供用者に擬せられた者が、当該自動車の運行利益(それが観念的なものであつてもよいし、間接的なものであつてもよい)を受けていたか否かないしは当該自動車の運行費用(維持費用を含む)を負担していたか否か並びに当該自動車の使用に必要な処分力(これは、当該自動車につき、向後短くない期間に亘る使用予定を立てることのできる力と言つてもよい。当該自動車が運行者に擬せられた者以外の者によつて運転されていた場合には、右処分力の有無は、当該自動車の運行供用者に擬せられた者が当該自動車を運転していた者に対して、直接にであれ、第三者を介して間接にであれ、当該自動車の運行について指令発する力――指令事項が運行の時間、場所、方法の細部にまで及び得るものであることは必ずしも必要ではない。また指令伝達の手段が現実には与えられていない場合であつても、これが与えられていたものと仮定して考えてよい――を有していたか否かによつて判定される。当該自動車を運転していた者洲運行供用者に擬せられた者に対して、短日時のうちに当該自動車を返還することを予定していたものと認められときは、後者は前者に対して、右指令を発する力を有したものと認められ、従つて右処分力を有したとものと認められるのが通常である。それ故、かゝるものとしての右処分力は、自動車を短日時の間、他人に貸与したり、或いは無断運転されたとしても、それによつて失われるものではないし、他方、自動車を短日時の間、借用したり、或いは無断運転したりしても、向後短くない期間に亘るその使用予定を立てることができるわけではないから、それによつて右処分力を取得するものではない。)を有していたか否かを規準として、その存否が決定される事実関係である。

<証拠>を総合すると、亡吉生(昭和二四年一〇月二〇日生)は、昭和四四年の秋頃から鈴木の経営する精肉店(本店札幌市南九条西二丁目、支店同市北七条東七丁目)にその店員として勤務(右支店勤務)し、鈴木方(札幌市本町二条一丁目四番地)に住込んで鈴木らと生活を共にしていたこと、亡吉生は昭和四四年一二月頃普通自動車の運転免許をとり、じ来鈴木が保有していた中古車(当時、鈴木は右中古車とこれよりは新らしい、本件事故車との二台を保有していた)を、住込先である鈴木方から、勤務場所である精肉店(支店)への通勤のため、或いは右精肉店の業務のため常時運転使用していたものであるが、本件事故についても、前記中古車が故障したときとか、鈴木に特に指示されたときにこれを業務上運転使用することがあつたほか、夜間とか休日にパチンコ店やボーリング場に遊びに行くときとか、ドライブに出掛けるときにも鈴木の許しを得てこれを運転使用することがあつたこと、本件事故発生の日の数日前にも亡吉生は鈴木に対し、近日中に友人の佐々木宗利(昭和二四年八月二九日生、札幌市北七条東七丁目一二番地で食堂兼布団店を営む訴外秀野武子方の住込店員)らと共に小樽方面に行きたいから本件事故車を使させてほしいと頼み、鈴木は亡吉生よりも運転に慣れている佐々木が運転するのならよいと言つてそれを許したこと、本件事故発生の日の前日である昭和四五年五月二三日(土曜日)の午後を大ぶ過ぎた頃、鈴木は亡吉生に対し、鈴木の兄が明朝早く筍を取りに行くのに車を貸してほしいと言つているから兄の家(鈴木方から半丁ほど離れたところに在る)に車(本件事故車)をもつて行くように、と命じて外出したこと、それで亡吉生は同日午後九時頃、本件事故車に同じく鈴木方に勤務している同僚店員の大沼敏文(昭和二六年九月二四日生)を同乗させて本件事故車を運転して鈴木方を出たこと、しかし真直に鈴木の兄の家へは行かずに前記秀野武子方に赴き、友人の前記佐々木宗利を誘い出し大沼を後部座席に、佐々木を助手席に同乗させて札幌市内のパチンコ店に赴き其処で午後一一時頃まで遊んだこと、パチンコ店を出たあと亡吉生は佐々木に本件事故車の運転を託し、自分は本件事故車の助手席に座わり、大沼を後部座席に同乗させて帰宅すべく、一旦前記秀野方に向つたのであるが、その途中、近日中に出掛ける予定の釣場を下見しに小樽の海岸まで行つてみようということになり、そのまゝ小樽築港駅付近まで行つたこと、しかし暗夜のため海岸を見ても判らなかつたので、車を降りずにそのまゝすぐに引返し、札幌に帰つて来る途中本件事故にあつたものであること(本件事故発生の時、亡吉生が助手席に坐つていたことは当事者間に争いがない)、以上の各事実が認められる。右認定に反する証拠はない。

右認定の事実関係によれば、亡吉生が昭和四五年五月二三日の夜、本件事故車を運転して鈴木方を出たのは、鈴木から本件事故車を近くの同人の兄の家にもつていくように命じられたためであつたと推認され、またその機会を利用して、鈴木に無断で同僚や友人を誘つて本件事故車でパチンコ店に遊びに行き、その後、佐々木にその運転を託し、更に、いきがゝり上小樽までドラライブすることになつたものと推認されるのであるが、この場合事故車の運行利益が鈴木に帰属していたか否かについては問題があるとしても、その運行が鈴木の費用負担のもとに行われていたものであることは明らかであり、また亡吉生は遅くとも同夜々半までには本件事故車を鈴木の兄の家にもつていくか或いはそのまゝ鈴木方に帰宅するかを予定してたものと考えられるのみならず、若し鈴木が同人方を出た後の亡吉生の右のような行動を知つて亡吉生に対して、直ぐに本件事故車を鈴木の兄の家にもつていくようにとか、或いは直ぐに帰宅するようにとかの指令を発すれば、亡吉生は当然これに従つたものと考えられるから、鈴木は亡吉生が本件事故車を運転して鈴木方を出たことによつては勿論のこと、亡吉生が本件事故車の運転を佐々木に託したことによつても、本件事故車の保有者として有していたその使用に必要な処分力を失つたものとは認められず、従つてその後も依然として本件事故車の運行を支配していたものといわなければならない。

従つて鈴木は、本件事故発生時において、本件事故車の運行供用者であつた。と認められる。

(二)  次に、亡吉生が本件事故発生時において自賠法三条本文にいう「他人」であつたか否かについて考察する。

1  自賠法三条本文にいう「他人」の意義ないし範囲については、同法上明文の定めがない。しかし運行供用者が右「他人」に含まれないことは、同条の規定上明らかであり、更に同法にいう運転者も亦右「他人」には含まれないものと解するのが相当である(最高裁昭和三五年(オ)第一四二八号同三七年一二月一四日第二小法廷判決、民集一六巻一二号二四〇七頁、昭和四三年(オ)第一一五九号同四四年三月二八日第二小法廷判決、民集二三巻三号六八〇頁各参照)。その理由を敷衍すれば、次の(1)、(2)のとおりである。

(1) 自賠法三条の規定は、実質上は、「自己のために自動車を運行の用に供する者は、自己又は運転者が自動車の運行に関し注意を怠つたため、その運行により、他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。」」という法規範と「自己のため自動車を運行の用に供する者は、自動車に構造上の欠陥又は機能の障害があつたため、その運行により、他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。」という法規範との二つの法規範からなるのであるが、被害者の立証負担を軽減するため、右各法規範における各傍線部分の立証責任を被害者から運行供用者に転換して負担させることにしたほか、運行供用者による「自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことの証明」確実性を担保するため、免責を得ようとする運行供用者に「被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたことの証明」責任をも付加的に負わせることにし、これを一個の条文として本文、但し書の形にまとめて立法したものと解することができる。右のように解するのが正しいと、自賠法三条但し書にいう運転者即ち自賠法にいう運転者が同条文にいう「他人」に含まれないことは明らかであるといわなければならない。

(2) 自賠法は、自動車文明を是認することによつて謂わば必然的に多発する自動車事故の被害者の保護を目的とするものであるが(同法一条参照)、その目的を達するために同法が制定している主要な制度は、加害者側の損害賠償責任についての強制保険制度(同法第三章の各規定参照)であつて、これは凡そ自動車事故の犠牲者すべて社会保障的に保護するというような制度ではない。しかして同法一一条の規定によれば、右強制保険制度のもとにおける責任保険契約は、加害者側として不法行為責任を問われる立場にたつのが通常である保有者(事故発生の場合、運行供用者となるのが通常である)と同法にいう運転者とを被保険者とし、右被保険者は被害者には含まれないという前提に立つて――この前提は当然に保険料の額に関係してくる――締結されるものであることが窺える。そうだとすれば、自賠法は同条にいう運転者が被害者である場合については、これを自動車事故の被害者としての保護の対象から除外しているものと解するほかなく、その点、立法論としては問題の余地なしとしないが、現行法の解釈としては止むを得ないところといわねばならない。しかして右のように解するほかない以上、被害者にほかならない自賠法三条本文にいう「他人」の中に、同法にいう運転者が含まれないことになるのは、当然の筋合いだといわなければならない。

2  そこで亡吉生が本件事故発生時において、本件事故車につき、自賠法にいう運転者に該当したか否かについて考えてみる。

自賠法にいう運転者とは、「他人のために自動車の運転又は運転の補助に従事する者をいう」(同法二条四項)のであるが、右にいう「他人のために」とは、「他人の運行支配のもとに」の趣旨に解するを相当とし、この点同法三条本文にいう「自己のために」が、前判示の如く「自己の運行支配のもとに」の趣旨に解するを相当とするのと軌を一にする。

亡吉生が昭和四五年五月二三日の夜、本件事故車を運転して鈴木方を出た後も、鈴木が本件事故車の運行を支配していたことは、前判示のとおりであるが、前認定の事実関係のもとにおいては、亡吉生は同日夜本件事故車を運転して鈴木方を出た後、本件事故車の運行を支配するに至つたものと認めることはできない。蓋し、亡吉生は、本件事故車を運転して鈴木方を出た後、これを自己の遊興目的に使用していたのであるからその運行による利益を享受していたことは明らかであるにしても、本件事故車の使用に必要な処分力を有するに至つたものとは到底認めないからである。

そこで前認定の事実関係によれば亡吉生は、前同夜本件事故車を運転して鈴木方を出てパチンコ店に至るまでは、鈴木のために本件事故車の運転に従事していた者として、自賠法にいう運転者であつたことは明らかであるが、亡吉生は鈴木の被用者であるのみならず、鈴木に命じられたことをするために本件事故車を運転して鈴木方を出たのであるから、たとえその後における遊興目的のための本件事故車の運転使用が鈴木に無断でなされていたものであるにせよ、鈴木に対する関係上、本件事故車の運転について一定の責務を負つていたものといわなければなず、このことはパチンコ店を出て佐々木に本件事故車の運転を託した後もかわりがなかつたものといわなければならない。現に、亡吉生は、佐々木に運転を託した後も、本件事故車の助手席に同乗していたこと前判示のとおりであつて、若し必要とあれば、いつでも佐々木に本件事故車の運転についてて然るべき助言ないし注意を与えて佐々木を補助することが可能であつたし、またそうしなければならぬ立場に在つたものというべきである。亡吉生が本件事故発生の日の数日前に、鈴木から、近日中に佐々木らと共に本件事故車で小樽方面に行くことについて佐々木が運転することを条件に許しを得えていたことは前認定のとおりであるが、たとえかゝる事実があつたとしても、右に説示したところを動かすことはできない。それ故、亡吉生は、佐々木に本件事故車の運転を託した後は、たとえ本件事故車の運転に従事する者ではなくなつたとしても、鈴木のために、本件事故車の運転の補助に従事する者に止まつたものといわなければならない。従つて亡吉生は、本件事故発生の時も依然として、自賠法にいう運転者に該当していたものというべきである。

なお<証拠>によれば、亡吉生は本件事故発生のとき本件事故者の助手席に坐つたまゝ眠けけのためにうとうとしていた如くであるが、たとえまたそのような事実があつたとしても、前段に説示したところを左右するには足りないものというべきである。

3 以上のとおりとすると、亡吉生は本件事故発生のとき、自賠法三条本文にいう「他人」には該当しなかつたといわざるをえない。

(三)  よつて、亡吉生が自賠法三条本文にいう「他人」に該当することを前提として、本件事故車の運行供用者であつた鈴木が損害賠償責任を負う旨の控訴人らの前記主張は、じ余の判断をなすまでもなく、失当である。

三控訴人らは、亡吉生が本件事故車の広義における保有者に該当することを前提として、鈴木が亡吉生ないし控訴人らの被つた損害につき賠償の責を負う旨を主張するものゝ如くであるが、控訴人らの右前提はその趣旨明確を欠くのみならず、亡吉生が本件事故車の保有者であつたと認めるに足りる証拠はなく、却つて前判示の事実関係によれば、亡吉生は、本件事故車の保有者でなかつたことは明らかであるから、その余の判断をなすまでもなく、控訴人らの右主張は、失当である。

四控訴人らは、鈴木、佐々木及び亡吉生の三名が本件事故車の共同運行供用者であつたことを前提として、亡吉生は、対内関係上他人性を阻却されない割合において自賠法上の他人として保護されるべきである旨主張するが、昭和四五年五月二三日の夜亡吉生が本件事故車を運転して鈴木方を出た後、本件事故車の運行を支配するに至つたものと認め得ないことは前判判示のとおりであり、従つて亡吉生が本件事故発生のときに本件事故車の運行供用者であつたとは認められない。また、同人が本件事故発生のとき本件事故車についての自賠法にいう運転者に該当し、従つて同法三八条本文にいう「他人」ではなかつたこと前判示のとおりである。それ故、その余の判断をなすまでもなく、控訴人らの右主張は失当である。

五以上のとおりであるから控訴人らが鈴木に対して自賠法三条本文による損害賠償請求権を有するものとは認められず、従つて右請求権の存在することを前提とする控訴人らの被控訴人に対する本訴請求は、その余の判断をなすまでもなく、失当であつて棄却を免れない。

六よつて、右と同旨の原判決は相当であつて、本件各控訴は理由がないから、民訴法三八四条一項に基づいて、これを棄却することとし、控訴費用の負担について同法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。(宮崎富哉 長西英三 山崎末記)

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